大人の小学校クイズ

【大人の社会科】「武家諸法度」が初めて発布されたときの将軍は誰?

江戸幕府が全国の大名を統制・支配するために定めた法律「武家諸法度(ぶけしょはっと)」。
1615年に最初に発布されたとき、当時の「征夷大将軍」を務めていたのは誰か知っていますか?
大御所・家康や、参勤交代を定めた家光との役割の違いを整理する、大人の社会科歴史クイズです!

【問題】最初の「武家諸法度」が初めて発布された時の征夷大将軍は誰?

慶長20年(1615年)に最初の「武家諸法度(元和令)」が発布された際、当時の第2代征夷大将軍だった人物は次のうち誰でしょうか?

  • A:徳川 家康(大御所として実権を掌握)
  • B:徳川 秀忠(第2代征夷大将軍)
  • C:徳川 家光(第3代征夷大将軍)

「大御所」と「将軍」の職位の違いを意識しながら考えてみてください。
正解は下にスクロールしてチェックしてみましょう!

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正解はこちら!
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【正解】

正解は 「B:徳川 秀忠(第2代征夷大将軍)」 でした!

【解説】発布時の将軍は秀忠!裏で主導したのは大御所・家康!

慶長20年(1615年)に最初の武家諸法度(元和令)が発布された際、当時の征夷大将軍は第2代の「徳川秀忠(B)」でした!

ただし、この法律の制定を実質的に主導・指示したのは、駿府城で「大御所」として幕府の最高実権を握っていた初代・徳川家康です。

大坂の陣で豊臣氏を滅ぼした直後、家康の命を受けた僧・金地院崇伝(こんちいんすうでん)らが草案を作成し、伏見城に集めた全国の大名に対して将軍・秀忠の名で発布(発令)されました。

最初の武家諸法度には「城の無断修理の禁止」や「許可のない婚姻(政略結婚)の禁止」などが定められており、大名が幕府に反逆するのを未然に防ぐ強力な統制ルールとなりました。

「秀忠」と「家光」の武家諸法度の違い

歴史の授業でよく登場する「参勤交代の義務化」と混同しやすいポイントですが、参勤交代を定めたのはのちの第3代将軍・家光です。

年号(西暦) 発布時の将軍(主導者) 武家諸法度の主な内容・ポイント
1615年(元和令) 【最初】2代・徳川秀忠
(主導:大御所・家康)
居城の修理には幕府への届け出が必要、城の修築や大名間の婚姻を規制
1635年(寛永令) 3代・徳川家光 「参勤交代」を制度として義務化。大船(500石積み以上)の建造禁止など。

※出典参照:文部科学省検定済『中学校社会科 日本史』教科書 / 武家諸法度(元和令・寛永令)原文史料より

将軍が代わるたびに更新された「武家諸法度」

武家諸法度は、将軍の代替わりに合わせて発布・改定されることがありました。ただし、毎回大幅に内容が変わったわけではなく、後の時代には過去の法度を踏襲するようになります。

1635年、第3代将軍・徳川家光の時代に武家諸法度が大きく改定され、参勤交代が制度として明確に定められました。

社会科歴史クイズまとめ

  • 最初の武家諸法度(1615年)発布時の将軍は第2代・徳川秀忠(主導は家康)
  • 最初の内容は「居城の無断修理禁止」や「勝手な政治的婚姻の禁止」
  • 「参勤交代の義務化」を追加して改訂発布したのは第3代・徳川家光!